卒論を振り返っての雑感

卒論を無事提出した。テーマは、池袋の創造都市政策の批判。

もともと父の故郷である北海道の岩見沢でフィールドワークをしようと(ついでにオリンピックから逃れようと)していたが、いけなくなってしまったので、身の回りのことを書くことに決めた。

卒論を実際に書き始めたのは12月ごろだった。夏ごろから先行研究を読み始めて、ぼんやりと全体像は理解できたものの、理論的な話をどのようにケーススタディにつなげるかがずっと曖昧だった。11月には、インタビューをして、一応データは揃った形になる。ただ、この段階でも何が言えるかということはあんまりわかっていなかった。

12月頭には草稿を始めないと大変だとアドバイザーから聞いていたので、とりあえず先行研究をまとめることから始めた。かろうじてメモは取っていたものの、8月とかに作ったものもあり、ほぼ文献を一から読み直す形になった。また、まとめている間にかけている情報が更に明らかになり、図書館に行き文献を読みながら文章を書くということを続けた。図書館のサービスってすごいんですね。初めて色々利用して、なぜ今まで使ってこなかったのだと反省した。

12月中旬まではディスカッションの前提となる先行研究、地域の背景、政策の背景について調べていた。私が扱っていたのは国際アート・カルチャー都市構想という政策だったのだが、その政策はいきなり出てきたものではなく、これまでの政策が折り重なって作られたものであったから、前提となるビジョンを一つひとつ紐解いていく必要があった。豊島区のホームページをひたすら読みまくり、関連する人名や政策名で検索をかけまくった。

インタビューの文字起こしもギリギリまでやっていなかった。特に2時間以上のデータがあり億劫になっていた。しかも、飲み屋でインタビューした回は、後ろがうるさすぎて聞けたものではなかった。ただ、1月3日ごろに頑張って全部聞いてみたら思わぬ発見があり、考察のポイントが一つ増えた。

インタビューについて書いた第四章は非常に難産で、特に語りをどこまで解釈して述べるかというバランス感に難しさを感じた。この辺り、トレーニングを全く受けてこなかったし、特に日本語で民族誌的な文章を読んだことがなかったので、困った。話者がどのくらい論文のコンテクストを理解しているかによって、どこまで深く汲み取るかも変わってくるとわかった。

ただ、大変だったとは言っているものの、書き上げる事自体は思ったより大変ではなかった。論文はある程度型が決まっているから、箱を作って積み上げていくような流れだった。もちろん、その箱をどこまで作り込むかという戦いにはなるのだが。想像していたよりは簡単にそれなりの形になった。満足しているかというとしていないが、どこかで終わらせなくてはいけないので。

卒論を通じて、この社会学カルチュラル・スタディーズという学問領域が何をしているのか、何をしたいのかということに少し触れられた気がした。人類学との大きな違いは、「私たちは介入したい」ということだと思う。というか、介入せざるを得ないのか。今ある不当な状況をできるだけ和らげるための社会変革を望んでいる。でも、その変革の方法は、既存のシステムをハックしたりdisruptしたりするようなラディカルな革命やイノベーションではない。あくまで身の回りにある文化や習慣そのものに変革の可能性を見出していて、それをできるだけ記述し世に残そうとしている。それが今取り組んでいる学問であり、私がこれからやっていきたいことだと改めて感じた。

11月から不定期ではあるが炊き出しに参加している。私は「生活」が好きだ。生活は、衣食住を満たすことで、心も満たされるような試みであると思う。炊き出しもまた、そのような「生活」を支えるような場所であると感じている。夕方から始まる炊き出しが終わる頃には、外は真っ暗になる。そんな中で、生活相談の机の灯りが公園のあちこちで提灯のように光っている。こんな場所が街にもっと増えたら良いのに。弁当を貰ったあと、箸がすぐに出てこなかったり、ソースが入ってなかったら、きっとそれだけで絶望してしまう人もいるだろうと思い、念入りにソースを数え、箸をしっかり輪ゴムで正面に留める。

都市が文化によるまちづくりによって、平凡に、そして排外的になっていくことは、グローバルな資本の流れによるものである。だから、簡単には止められないプロセスなのだろう。私もそれを批判していながらも、一消費者、一住民として作りあげてきた一人でもある。でも、なんとか抗うことはできないだろうか、ふたたび文化の力を使って。

続きは大学院ですね。