自粛期間の思考:キャリアについて

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帰国してからもう3ヶ月経っているらしい。
浮き沈み激しい日々を過ごしながら、だいぶ気持ちが落ち着いた状態になったと思う。いわゆる逆カルチャーショックと、社会の混乱によるストレスが同時に訪れた状態だった。日記を見返すと、5月はじめごろまでは、先の見えなさに振り回され、モチベーションの元もないままがむしゃらに課題に取り組んでいた。課題が終わって、なにかに追われることが無くなったいま、精神的には落ち着いているが、大して何もしていない日々が続いている。進路含め、相変わらず先の見えない状態は続いているが、その状態に慣れてきたということだろうか。

今朝Twitterで、スタンフォードMBAのエッセイ, "What matters most to you?"についての話題を見た。大学院入試を控えていることもあり、この質問がなんとなく心に響いていた。何が自分にとって一番大切なのだろう?

留学中は現代アートにすごく関心があって、美術館に足を運んだり、授業でアートの基礎を学んだりしていたけれど、結局自分の根本にあるのは演劇やパフォーマンスだということにこの2ヶ月で気づいてきた。同時に、パフォーマーとして生きていく気力もあんまりなくて、レッスンもサボりがちになっている。留学中は、毎週レッスンに行くのが楽しかった。なのに帰ってきてからは行きたくない気持ちが大きいのはなぜなんだろう。

壮大な目標に向かって頑張るのではなく、大切な人との関係を考え、暮らしを見直していく3ヶ月になったと思うし、今一番自分にとって大切なのはこの点なのかもしれない。周りの人やモノとの関係を常に考え、大切にすること。このスタンスが崩れてしまうほどハードに仕事や夢を追いかけたいとは今は思えない。もちろん、目指す暮らしや人間関係の中に自己実現という項目もあって、その達成のためには自分のなりたい姿、尊敬できる姿に近づくことも必要になるから、成長を諦めるわけではない。

では自分のなりたい姿とはなんだろう?
どういう暮らし方をしたいかと問われたら答えられるし、どのような人と一緒に仕事したいかと問われても答えられると思う。でもそれをキャリアプランというリニアなモデルに落とし込もうとすると急におかしくなってくる。

なりたい姿という視点で考えるからおかしくなるのかもしれない。どういう世界で生きたいかを考えたら自ずとこれからのミッションと身を置くべき環境が見えてくる気がする。

やはり私の目指す世界は、今の加速主義的な社会ではなく、みんながある程度周りに生きている人々について想像し思いやることができて、困っている人がいたらさまざまな方法で手を差し伸べられるところ。ささいなことに喜びを見いだせて、お金を使わなくても余暇の時間を楽しめるようなところ。この世界観の中で、劇場という空間やパフォーマンスというのは大きな役割を担うと感じていて、だからこそこれからも関わっていきたいと思っている。ただ、今の演劇・劇場の現場は自分が身を置きたい環境とは正直言えないし、能力的にもすぐ変化を起こせるような人間ではないから、まずは違う場所からスタートしないといけない。その道筋が描けなくていま悩んでいる。

留学は正直わくわくすることばかりではなく、ものすごく劇的な体験というわけでもなかったので、もう1年やって何が変わるんだろう?という気持ちがある。でも、途中で帰国してしまってもやもやしている状態でこのまま日本で就職してしまうのは絶対に嫌で、だからこそもう一回挑戦したい。

5月から仕事を再開して、なんとなく日々誰かのためになっているという感覚が、より大きなモチベーションを鈍らせている気がして少し危機感を感じている。エンジンがかからないものはもうしょうがないので、日々コツコツと思い立ったときに動くのでいいのかもしれない。