一時帰国10日目

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急遽帰国してから10日。今日、はじめて落ち着いた感覚があった。時差ぼけもだんだんと良くなってきて、はじめて2時前に眠り、家族が出かける時間に目をさますことができた。午前中は本を読んで過ごした。ミランダ・ジュライのIt Chooses You。ユーモアと優しさ、葛藤に満ちた文章。くすっと笑えるところもあれば、ひりひりする場面もある。午後には、リモートワークの準備のため午前中だけ出勤した父が本を買ってきてくれた。本はいくらあってもいいよね。昼寝もしてしまったけど、普段8時間以上寝ていた人が6時間睡眠で満足できるわけないから仕方ない。起きたらもう夕方だった。まだまだ眠れそうだったけど、このまま寝続けたらまたリズムがずれてしまうと思って、頑張って起きた。友達とLINEしながら、屋上の配信をみる。屋上のYoutubeはいい。なにか手を動かそうという気持ちにさせられる。

心が回復するまでに、随分時間がかかってしまった。思えば、ロンドンに着いた最初の一週間だってひどい気分だった 。逆カルチャーショックがあるとは聞いていたけどこんなにとは想像してなかった。それに、突然留学が終わってしまって、こんな体験したこともない災害に直面しているのだから、無理もない。帰国したてのときから、冷静に状況を見つめていると思っていたが、案外気持ちが落ちているときはそれに気が付かないものだ。わたしの心の自然治癒力はだいたい1週間前後なのだろうか。

帰ってきてから、今住んでいるこの場所はかなり弱っているのではないか、ということを体感としてじわじわ感じ始めた。以前から頭ではわかっていたことだが、今は身体感覚で納得している。板チョコがプラスチックでできたおもちゃみたいに軽くて驚いた。前はもっと大きかった気がしたのだけど。カット野菜やヨーグルトの容れ物が、前よりも小さくなっている気がしてならない。本当に気のせいなのかもしれないけど。そうであってほしい。これに気が付かなかった自分は、いままでどれだけ生活をないがしろにしてきたのかという話でもあるのだが。この状況が、どこまで行っても同じなのか、あるいはまだ救いはあるのか、それすらもわからないが、どこに住むのか、あるいは住みたいのか、しっかり考えていかなくてはいけない。私はもう努力教の信者ではないので、置かれた場所で咲きなさいという言葉がどれだけ意味のない言葉かを理解しているつもりだ。ウイルス騒動を目にして、わたしたちはどんなふうに死んでいくんだろうか、と思う。だれも考えたことのない原因で死んでいくんじゃないだろうか。でも死ぬときはどんな人間もおんなじふうなんだろう。人間が持つ共通の脆さ。この言葉は救いでもあり、ときには地獄のように思える。夜、『白の闇』を読み終える。わたしたちはなにも見えちゃいないのだ。明日のことも、家族のことも、自分の心の状態でさえも。

そろそろ課題に手がつくといいんだけど、勉強のやる気スイッチはメンタルのアップダウンとはまた別で、もう一段階エンジンを入れないといけないな。

写真はアムステルダムの空、飛行機がまだ自由に飛んでいたころ。