修論についての所感(なぐりがき)

修論について色々振り返る。前に書いた卒論の振り返り見て色々変わったことと変わらないことがあっておもしろ〜となる。結局分量としてはもう一回英語で卒論を書いてみた、みたいな感じになったので、修論と呼ぶにはチャレンジングではなかったのだけど、同じようなプロセスを違う環境・内容でやり直すのはまた発見があって振り返ってみると興味深い。

シンプルに英語で書くということで助けになったものたち。

わたしはDeepLは使わないというのを信条にしていたので読むときは基本speechify(読み上げアプリ)で聞きながらiPadでラインを引いていく。読み終わったら書き込みを含めてPDF化してPCに送って、まとめ作業をやる。Citationはツールを使うべきだったんだろうけど、どうもしっくりくるアプリに出会えなくて最終的に全部自分の目でチェックする羽目になった。

インタビューの文字起こしは、英語はotter.aiでかなりきれいに取れます。日本語ツールは最初nottaを使っていたけど、結局LINE clovaが一番正確だった。ただβ版で課金できず、編集機能が色々未開発なので、文字起こしはテキストをダウンロードして岸さんのinterview writerで(操作慣れてるし)。LINE clovaはデータ提供すればデータ量が上がるんだけどそれは研究倫理的にはグレーだと思うので気をつけて。直接スマホアプリのLINE clova上で録音すればデータ上限なかったはず。

文章書くのは、Academic Phrasebankがかなり参考になった。あとは大学からESLの学生用のdissertation writing guideが細かく出ていたのでそれを読みながら書いていた。

https://www.phrasebank.manchester.ac.uk/

その他英語についてはもう指導教官に頼り切りで...フィードバックのときに英語の表現も全部見てくれた。本人も英語が母語ではないのでかつて苦労したのだろうか。感謝。

 

もともとは都市と文化にからめて何かを書こうと思っていたのだが、ダンサーへインタビューをするという論文になった。結果自分の関心のあるところに真正面から取り組んだことになってよかった。もともと文化産業論ってところも、なんで役者やダンサーとして生きていくのがこんなに苦しく難しいのかということで。その苦しさは経済的なものだけでは語れない、ジェンダーとか身体のことも含んでいたから、大きな産業の仕組みとか都市のこととかやってもそこには触れられないなあと思っていた。

そこでprecarityという研究領域に出会ってしっくり来た。precarityは学問領域と労働運動両者の側面を持っているので、基本的にはtemporary workerやfreelancerの仕事・生活の不安定さについて広く扱っている分野。ただprecariousnessというちょっと別の概念だと人類が共通して持っている生の不安定さ、みたいな話にもなり、ある身体を持つこと・見せることを扱うのにもかなり向いている概念だと思った。意外にもダンサーの身体とその不安定さを絡めて論じている研究はすごく少ない。precarityはヨーロッパ中心の研究分野というのもあってその域を出ていない。ダンサーの身体ってすごいいろんな意味でこんがらがっていて、本人の認識もかなりこんがらがっているので、面白いと思うんだけど。日本語でこれについて書くのすごい難しい。

今回もインタビュー、かなり迷いながらやっていて、失敗したなと思うこともあった。あまり時間がなくて、アポとったら2日後できます?みたいな感じでぬるっと始まってしまったので。informantとの距離の置き方とか、踏み込み方とか、話の脱線とか。難しかった。印象的だったのがあるinformantがすごく研究に興味を持ってくれていて、何が原動力なんですか?なんで私の話をこんな聞いてくれるんですか?みたいな質問をされた。(その時もう正式なインタビューは終わってて、雑談してた。)そのとき素直に出てきたのは自分に興味があるからですかね。ってことだった。

私は人に別に興味があるわけじゃないんだよね。こんなことインフォーマントに言うなよって感じだったんだけど、その人はすごい面白がってくれて。私も、いや興味がないわけじゃないんですけど。でもその人を助けたいとかそういうことではなくて。自分の知りたさとかケリを付けるとかそういうことのためにやってるんですよね多分。なんで自分はこうなのか。自分はこうなのにあの人はこうなのかっていうのを少しでもわかりたいんですよね。感情的に同情しているというよりはエンパシーというか。別にその人が苦しいとか大変だったという話を聞いても心に何かが到達することはないんだよね。それはインタビューだろうが日常生活だろうが同じで、それは起こってしまったことで、それは自分に起こったことではないから。

これを言ったわけではないけど。流石にその日初めて会ったinformantにこんなこと全部言えないから。でも今思うとこんな気持ち。