モド・ウゴ・キリ

昨日ひさびさに稽古場に戻った。稽古場と呼べるほど長くは通っていないが。知ってる人がいっぱいいておかえり〜って言ってくれた。昨年のあの不気味な雰囲気はなんだったのか。その時一緒にはじめた人たちはもう誰も残っていなかった。

稽古のシークエンスも少しずつ変わっていて、動きのイメージが新鮮に感じられた。手が溶けていく感覚とか初めて感じてオーとなった。去年はそのイメージと言語のずれですごい苦しかったけど、一旦それを手放して素直に動けたのでなんだか楽だった。イメージを使って踊るというのはロンドンではあまりやっている人がいなかったかもとかちょっと思う。理論を詳しく読んだわけではないのでわからないけど。結構メカニックな身体を信じている人は多いなあと思った。無意識の中の動きみたいな。それって結局実践しようとすると心身二元論に陥ってしまいがちな気がするのだけど。稽古場ではテクニックについては距離をおいて語られるので、それはありがたかった。

陶酔状態に入ること、それを人に見られることがあまりこわくなくなっていた。公園で即興やるのに慣れたからそれに比べればって感じなのかもしれない。Mayfairの路上でも踊ったしね。客観的に見たらみんな自分に陶酔しててちょっと怖い感じもあるくらいだったから。振付があれば完璧に陶酔しきることもないし、陶酔側に踏み込むことに抵抗が減ってきてるのはすごくいいこと。

髪を切ってちょっと野性的になったんじゃないと言われる。そのときはふ〜んと思っていたけどなるほどしっくりくる。1年間地続きだった生活を手放して周縁の中で生きていたことが何かを変えただけかもしれないけど、東京の街に降り立ってすぐに髪を切ったことでもうもとの自分には戻らないという宣言したような感じ。髪を括った自分を見るのが最近かなり嫌だった。縛っていた毛束を誰かに掴まれてるみたい。髪を切って従順な女みたいに見られている自分を全部捨ててきた感じがある。まだ新しい社会に順応中だからっていうのもあると思うけど、髪がこの気持ちを思い出させてくれそうで。