ぱろぱろ通信

生活断片

ロマンスの名残、あるいは残りカス

7月に会社を辞めてから、日記を頑張ってつけていて、8月末までつけていたのだけど、9月で急に止まってしまった。1日からいきなり大きなイベントがあって、日記に書き起こすことが難しい気持ちで書けていなかった。2週間経って、少し客観的にかけるような気もする。

1日、事実婚を解消したいということを同居人に伝えた。12月くらいまでに伝えられればいいやと思っていたのに、外でご飯を食べていて、話の流れで、伝えることが必然的になってしまい、言うことになった。明らかに、お互いがイメージしている関係性の理想像がかけ離れてしまっていること、そして、人生や家族についての考え方が真反対を向いていることが明確になったから。そのずれは既に半年以上あって、お互いそれに気づいていたのにしっかりと見つめる勇気がなく、その間に複数の決定的なことが起きてしまったという感じだった。同居人は、続ける、ということを約束することで続けて、永遠を目指すというところに美徳があるのだ、という趣旨のことを言っていた。わたしも以前このようなことを信じていた側面もあるのだが、今は全く逆で、関係性は思いが続く限り続けていけばよいことで、結果として永遠に近くなったら美しいけれど、永遠を作るために外部の力(制度・常識のようなもの)を用いる必要があるのであれば、それは続ける意味は特にないんじゃないかと思う。ここが根本的に合意できない点だった。

そのうえ、この「永遠」のなかには子どもの話も入っているように見受けられて。子どもというのは、私自身の身体の問題であり、社会的な表象の問題でもあり、どうしても譲れなかった。一般的に見ると、わたしが明らかに異常者で、わがままを言っているようにしか思われないんだろうなって思うけれど、その発想自体にfuckを突きつけたいし、そのために独自の人生をつくっていきたいと思っているから、今度またパートナーをつくるとしたら、それを一緒にやってくれるひとがいいと思った。

事実婚を決めたときのわたしは、パートナーシップとか、「結婚」というものに、自立性を投影していて、それにすがることでなにか別のものから抜け出したつもりでいたみたいだ。でも実際は、また別の檻の中に自分を入れてしまっただけだった。この話も同居人にしたけれど、全くよくわからないといった様子だった。

結局、「同居人」という関係性としてこの生活を名付け直せないか、という話をいまはしている。生活をともにするひととして、相性が良いことには変わりがないし、実際この話をしたあとも、生活は変わらず続いていって、その関係性には影響がないようにわたしは思えた。ただ、それがロマンスの名残、あるいは残りカスが見せている幻想だったら困るので、少し経過観察の時間を持ってみることにしている。

会社も辞めているのに、こんな話をしたら家がなくなるな、実家に帰る準備をしないと、などと考えていたけれど、結果として、一番体力のあるタイミングでこの話をしてよかったと思う。仕事がないし、パートナーもいないし、ってなるとすごく不安になるかもって思ってたけど、実際は、それがないこと自体が本来の自分であって、孤独とか不安をないことにして生きている状態こそがリスクだったんだと気づいた。もちろんずっとその状態でいたいかというと違うのだけど、そのむき出しの自分に向き合ったうえでキャリアとか人生の方向性を再度選び直せるのは最高だなっていまのところは思っている。

人生の予行練習

会社を正式にやめて、一時的に健康保険がない状態になっている(手続きを進めているので少ししたら来るはず)。会社にいかなくなってから1ヶ月近く経ったということ。

 

シンガポールでは早朝に動いて夜早く寝るという生活をしていたので、帰国したらなんだかすごく眠くて22時とかに寝るようになっちゃった。ただずっとは寝ていられないので夜中とかに起きるのだが、昨日の夜中2時くらいに色々と考えていたら、仕事の件についてまだまだ新鮮に怒れるということに気がついた。別に自分が辞めることになったことを恨んでいるわけではなく、全く論理が通らない、わけのわからない人たちを信じてしまって、明らかに誤った道へ進んでいってしまっていることが本当にもったいなく、かなしくさみしく感じるというだけ。みんな元気だろうか。仕事とはいえ、友達みたいに仲良くしていたから、気軽には会えなくなってさみしい。唯一救いなのは同じ時期にやめた人たちとは友達としてつながっているということ。そこで会話していても未だに新鮮に怒りを感じて感情を出してしまったりはするのだが。でも少なくとも共有できる人がいてほんとに良かった。

 

去年11月に占いをした(このときのやつ)ときに、2022-2023年は天中殺なのだが、2024年2月3日に天中殺を抜け、2024年6月16日に「階段を降りられる」(メモ書きそのままなので詳細なニュアンスを忘れたのだが、多分いい意味)、そこから12年かけて昇っていく、という話を聞いた。すっかり忘れていて、聞いた当時は2月?6月?なんも大きいイベントなさそう...と思っていたのだが、2月頭は昇進したときで、6/16は、まさに退職を決意したその日で、少し怖くなった。ちょうどその時尾瀬の山にいて、山を下っている間にずっと退職について考えていて、辞めることがすごく自然な決断のように思えた。山を下っていく、足を踏みしめるごとに思考が固まっていく感じがあったので、それが「階段を降りられる」という言葉とも重なる。実際、この3連休明けすぐに部長に退職の話をして、すんなり辞めることができたのだった。話半分であまり信じていなかったのだけど、他にもなんとなく思いあたる節もあり(財運線と結婚線がない等のこと)、占い師の人を見る力と、偶然の符号を少し信じてみたくなる。

 

偶然性っていうのはここ2年の自分のテーマで、それはギャンブルがなにより偶然性の遊びだからなのだけど、人間のあらゆることが最終偶然性に着地するというのはとてもおもしろい。賭博の歴史を読んでいると、占いも広義の賭博として扱われている。より今より偶然性ばかりで満ちている世界観のなかで、偶然性を解釈するための占いや富くじ、そして偶然性を利用した究極かつ普遍的な遊びであるギャンブル。今の時代も、偶然性をできるだけ排除しようとしても、結局、なぜ自分は自分であるのか、自分はいつ、どのように死ぬのか、といった究極の偶然性は廃することができない。これは人類があと何万年進歩しつづけようがおそらく永久に残ることで、それが残る限り、偶然の遊びや占いはなくならない。実際、ギャンブルの1ターンは小さな人生だ。みんな自分の持ち金(=人生の容量)があって、それをどのように使うかは自分次第。ただしミニマムベットはあるし必ず自分のターンが回ってくるから、少額をかけ続けていてもいつか死ぬ。これは持ち金が1万でも100万でも1億でも実際全く変わらない。なので、ある程度遊んでいると、どこかで後ろ盾のないチャレンジをしないといけないときがくる。やらずに100ドルを200ドルにして帰ってもよいのだけれど、それを何度も繰り返していても、ギャンブルをする意味がなくなってしまう、とわたしは思う。けど、そういう人生を生きるのもまた選択だし、100ドルが全財産の人は200ドルで帰ったほうがいいと思うから、人それぞれなのだけど。

 

ギャンブルは人生の予行練習ができるので、非常におすすめです。普通は楽しんだらお金を払って帰るところを、負けたら普通にお金を払ってたのしい、買ったらもっとたのしいのになぜかお金がもらえる、という不思議なエンタメです。日本の公営競技や宝くじの場合、負けたらお馬さんの餌を払える、都バスの椅子ができる、道路がきれいになる...と考えるようにするといいです。

 

ソフソーギ

祖父の葬儀へ。東京の火葬場はたいへん混雑しているらしく、亡くなったのは1週間前だがやっと葬儀。取り乱しているわけではないが、通常時も落ち着きのない祖母は全く落ち着かない。私の両親、とはいっても死別再婚しているので今回亡くなった祖父とは血の繋がりのないふたり、は駐車場がみつからず遅れてくるという。お寺に着くと会場は地下で、外にむき出しのエレベーターから地下2階に下がる。控え室がふた部屋あり、入るとやけに空気がぬるく暗い。熱々のほうじ茶がポットに入っていた。あまりに暑いので、室内では喪服のジャケットを着ていようと思っていたが、一度きたものの耐えられず脱ぐ。いとことはおそらく過去に3回しかあったことがなく、祖母の電話で名前を思い出すくらいの関係性なのだが、もう大学生と高校生になっていて、知らない人だなあと思う。ここで会うまえにもし同じ電車の同じ車両に乗っていたとしても気がつけないだろう。大学生ってこんなに人見知りだったかしら、と思う。

結局両親は葬儀スタートのぎりぎりに会場についてなんとか間に合う。確かにこの場で血のつながりがあって、かつ、生前の元気だった祖父の姿を知っているひとは少ないよなと思う。わたしが母親が演じるべきだった役割を演じさせられているような気分になってぎこちない。

儀式っていうのはだいたいおかしい。意味のないことに意味づけをしていることが多いから。興味深い方の面白いと、ばかばかしい方の面白いが混在している。あらゆる儀式は遊びと表裏一体だなと思う。それに真剣になって縋り付くのは、人生に起きるあらゆる偶然性を理解するための営みだ。人間のするほとんどの文化的な行動は、どうしようもない偶然性に対しての反応だと思う。抗う行為もあれば、受け入れるための行為もあって、葬儀の場合は後者だ。

ちょっとした待合の時間の会話がいちばん困る。こういうときにあまり空気が読めないけど、温かみはあるじぶんの父親はいい人だなと思うことがある。定型文を繰り返すのではなく、ちゃんとその時自分が感じた感情を素直に表現できる人。

最後のお別れということで棺を花で埋める。なにも持ってこなかったな、と思うけれどもう遅い。神経質な祖母が最後まで花の位置をしきりに直していた。大体葬式に行くとこの辺で泣いてしまうことが多いのだけど今回はなぜか涙が出なくて、あっけなく棺の蓋が閉まる。

霊柩車とマイクロバスが来ていて、私はバスの方に乗る。外に出ると、灼熱で、あ、夏だったなと思う。暑さに思わず笑ってしまって、笑いの余韻を残したままバスに乗り込むと険しげな顔のおじさんと目が合ってしまい気まずい。まだ全体の工程は終わっていないのだった。バスは新宿御苑からバスタ新宿、西新宿、初台、幡ヶ谷と進んでいく。喪服を着ていると、日常からまるっきり切り離されたような気持ちになる。もしかしたら普段も火葬場に行く人たちとしょっちゅうすれ違っているのかもしれない。

こんなところに火葬場があるとは知らなかった。よく知った道の一本後ろの道だった。待たされただけあってか、たいへん混雑していて、他の家族の火葬も丸見えのまま工程がすすむ。火葬前の焼香のときも、パーテーションでかろうじて仕切られた隣の炉から骨を砕いている音が聞こえてくる。おそらく誰かの骨の粉が床に少しこぼれていて、車輪の跡を残していた。流れ作業だね、と祖母がいう。私はべつに嫌な感じはしなくて、人って死んだら全員火葬しないといけない決まりなんだよなあと思う。会ったことのない、知らないおばあちゃんの骨を全部みちゃった。骨を見てもその人のことはなにもわからない。

炉が5個あって、だいたい火葬場での工程は1時間くらいかかるから、9時から17時まで営業したとして、大体40人くらいを処理できるということだ。医療系の仕事をしている同居人にこの話をしたら、大体クリニックの1日の診療人数と同じくらいだねと言っていた。1週間待たされたってことは、都内のそのエリアで亡くなった人はそれよりももっとたくさんいてみんな順番を待っているんだな。ちょうど8/6に近かったので、こんなに綺麗に火葬してもらって、名前も写真もあるのは良いことだとただ思う。

火葬が終わると館内放送で呼ばれて、また炉の前に戻る。骨上げをするとき、骨をなぜか褒めてもらえるパートあるよね。病気をしてたひとは骨に薬の色がついてしまったりするから、つらかったね、って言われがち。火葬あるある。隣の人はそんな感じで、おそらく長い闘病の末なくなったんだろうなという感じで、兄弟に囲まれながらかわいそうにねえと言われていた。おじいちゃんは喉仏などを褒めてもらい、骨壷におさまっていった。対応してくれた職員の人が、長袖のシャツと、警察の帽子みたいなものを被っていて暑そうだった。おそらくわたしと歳が同じくらいか、もう少し若いくらいの人に見えた。骨を最後まで箒でうまく集めて納めていてすごい仕事。

位牌と骨壷と遺影を持つために、代表者の方3名でてください、と言われる。喪主である祖母と、息子で2人まではいいのだが、あとは誰?という空気になって自分が出た。血縁がある中で一番歳が上なのはわたしだった。遺影を手にしたら初めて実感が湧いてきて、帰りのマイクロバスで少し泣いた。遺影の上に泣いてしまってちょっと汚してしまったけど、誰も気づいていないといいなと思う。

すでにお墓も買ってあるので納骨まで一気にやる。12時スタートで何も食べていないのでさすがにお腹がすく。納骨堂に行って最後のお焼香。まだ生きているひとの位牌も仮で用意されていて不思議だった。おばあちゃんは心配性だからかすでに戒名に入れたい漢字もリクエスト済みで、ちゃんとおじいちゃんの位牌の隣に並んでいた。まだ生きているひとの位牌の名前は赤く塗られているらしい。女性だから赤くしてるのかなって一瞬思ってどきっとしちゃった。場所によって位牌が金色のところと黒色のところがあって、それはお堂自体の見栄えのために色を交互にしているけれど、黒いものも能登の漆塗りで高級品なので安心してください、と誰も何もきいていないのに長々と説明される。

終わっても、祖母とおじさん家族は四十九日の打ち合わせで残るという。よく考えたらいとこたちは、海外に住んでいて、物心ついたときには祖父はもう脳梗塞でしゃべれず、お葬式もおそらく慣れておらず、どう振る舞ったらよいかわからなかったのかなと思った。次会った時は今何しているかとか少し聞けるのかな。

両親ともあっさりと別れたので、喪服のまま丸亀製麺に行って、遅めの昼ごはんを食べる。実際かかった時間は3−4時間だけれど、どっと疲れて、家に帰って20時ごろまでねてしまった。

 

やめやめ!

会社を、やめる!

 

根本的に会社員ということに全く向いていないというのがよくわかった。新しい組織の新しい上長が会社員とは、みたいなことをすごく言ってきて、会社員にであるためにここにいるわけじゃないのにな...としか思わなかった。というか、今までの組織が集団になじめない人たちの集団って感じで、過去の経験もいろいろで、組織や会社にとらわれているひとはあまりいなかったんだけど、それがすごくレアな環境だったのかもしれない。ユートピアの膜がやぶれて、日系企業の雲が立ち込め、勤労の美風がそよぐ地獄のお花畑になっちゃった。(賭博がなぜ違法なのかというと、勤労の美風を害するかららしい。意味わからなすぎて逆に大好き。)

 

この1・2年で得た一番の宝物は、フィードバックという行為・スキルだと思う。上司・部下関係なく、ファクトに基づいて正しいタイミングで良いことも悪いこともフィードバックすることで他人の可能性を広げられる。もちろんそれを受け取れる人とそうではない人がいて、全部の人に効果があるわけでもないし、自分が必ずしもうまくフィードバックできるわけではないけれど。良いことがあったら(ここでは感情も交えながら)褒め、良くない習慣があれば、タイムリーに、かつ感情ではなくファクトベースで伝える。他者はコントロールはできないけれど、その人のことをじっくり考えて、必要な情報を必要なときに与えてあげることはできて。これが立場関係なく周囲の人にできている人はとても少ないと思う。相手をコントロールしようとしたり、より負の感情で条件付けようとしたりしてしまう。そんなことをしてもその人の可能性は何も出てこないのにな。最近隣の部署で新卒がひどい育成を受けているのをみて(育成と呼べるのかもわからない)、そして同期も一先輩としてそれに加担してしまっているのをみて、なおさらフィードバックの大切さを思った。私も先輩/同僚/上司として周りの人にできうることをしてあげられたかというと必ずしも余裕がなくてできないこともあったけれど、それでもベストを尽くせたと思う。

 

奇しくも学校の夏休みと同じようなタイミングで有給消化期間にはいる。目一杯いろいろ考えて、いろんな人にも会いながら、頭をうにうにさせる時間にしよう! 

野菊

職場で大きめな組織改編があり、今まで生きやすいと思っていたのがたまたま環境によって支えられていたものだったと気づく。集団の中は基本的に息苦しく、どう頑張ってもはみ出てしまうのだということ、過去数年それをあまり感じずすんだのは自分が変わったのではなく、環境がよかったのだということ、頭では知っているつもりだったが改めて感じた。

基本的に権力者は嫌いで、権力者に媚びるやつはもっと嫌いだが、権力を正しく使える人を見抜くこと/自分が一定の力を持つこと(持てるなら)もまた大事だと思った。集団において権力構造がないことはなく、権力をもっていないのに使えない人もそれはそれでやばい。権力を持っているのを知っていて、使えないのもやばいし、気づいていないパターンはもっとやばい。特権についても同じことが言えるのかも。人間関係も。自分を支えられる力があるひとは優しく見える。でもその力の方向性を間違えるとたいへん。

メタ認知ってどうやって生まれるのか、ってさいきん複数の人と話した。同じような経験をしていてもメタ認知が比較的少ない人もいるし、メタ認知があるからといって適切な振る舞いができるわけでもなく不思議だなと。ずれていることを認識できることと、それを調整できるかどうかはまた別だし、ずれていることで起こる摩擦を感じることとずれていることの根本を理解することもまた別なのだなあ。

・・・

お母さんの命日だな。2009年に亡くなったから、もう15年になるんだ。どっかでお母さんの年齢を超えちゃうときがあるからね。それを思うとわけわかんない。大学生のときってもっとどんな人だったか知りたい欲求があった気がする。それがまるで自分を知ることと同じって感じがしてて。でも最近は少しその欲求が減ったな。今の自分の構成要素の中で、母の色がうすくなってきてしまってるからかも。たぶん実家のどこかに母の日記が残っているはずで、子どものときは、あなたが読むにはつらすぎる(闘病のことがすごく書いてあって、生々しいから)と言われて読ませてもらえなかった。確かに少し盗み見たときは、青いボールペンの字がミミズのようにグネグネしてて、苦しい、といったことがすごくたくさん書いてあって怖くて読めなかった記憶がある。今は読んでみたいけど、母は読んでほしくないだろうなって思うから、読んでいいのかわからない。

仏壇に手を合わせることとか、お墓参りに行くことが、高校生くらいまですごく辛くて、できればやりたくなかった。お葬式から、法事まで、母の死に関するあらゆるセレモニーが一回も自分の支えになってくれたことがなくて、嘘くさくて、なんかみんなわかったような顔して祈ってて、ばかばかしかった。今でも別にばかばかしいとは思ってるけど、というかそれが儀式の本質だと思うから行為自体はばかばかしくてよいのだけれど、何も思わずお墓参りに行ったり、仏壇に挨拶したりできるようになった。

私はどこかで母の死を乗り越えたのかな、ずいぶんかかった。母の死、というか、それ自体というよりは、自分は幼いころに愛情を受けなかったということだったり、周囲に馴染めなかったりしたことをすべてそのイベントに転嫁していたのだなと思う。それが、大学生活や留学、恋愛などで、いろいろな人と一から関係を築けることを学んで、自分自身に自信がついたのかな。長らく会えていなかった母方のおばあちゃんにもなんとか会えて。カウンセリングでも、母が死んだこと自体がトラウマなのではなく、大きなショックを受けている自分に誰も気づいてくれず、「気丈な子」として扱われたことがトラウマだった、ということがわかった。今では、自分は大丈夫、という基本的な自尊心があり、親にも一定親孝行するくらいにはなっただろう(気が早いかもだが)、という自覚もあるので、辛い気持ちがなくなったのかな。一瞬隠れているだけで、また自分がどん底にいったときに顔を出してくるものなのかもしれないけど。

・・・

「子どものときは」とか「おとなになってから」って最近普通に使うようになってしまったのだけど、発した瞬間ものすごい違和感に襲われる。自分はずっと子どものままだし、どんどん子どもに近づいているまであるから。自分の子どもができるまで子どものままなのかなって思うけど、子ども欲しいとは思わないから、一生おとなになれないのかもしれない。周りで子どもつくるひとも出てきて、その間に私はぬいぐるみを一ヶ月に6-7個買って、グアバ犬とバナナ犬(台湾のスーパーのゆるキャラ)が革命組織作って、バナナ犬がさきに逮捕される人形劇とかやったりしてた。小学校のときとかってみんなこどもだったのに、25歳の一瞬を切り取るとこどもとおとなに分けられるようになってるの、すごい変だなって思っちゃった。みんないっしょに「のぎく」踊ってたじゃん!(小学校で5-6年生女子だけが運動会で踊らされるなぞの踊り。強制ではないので拒否していたが、学年で2人くらいしか拒否してなかった。いま調べたらのぎくは尋常小学校唱歌だった)

 

葬儀・人魚・NDA

最後に葬式に行ったのはいつだろう。大学の時に一度だけ行った気がする、とここまで書いて、祖父の葬式がコロナ禍真っ最中にあったことを思い出した。ちょうどワクチンが始まった頃の話で、祖母だけ2回の接種が完了していたから、小規模に家族葬だけ執り行ったのだった。最初の文章で、「だれかの葬式」と書いたところで、参列できる葬式はぜったい誰かの葬式だよなっておもってそのまま「葬式」とだけしておいた。自分の葬式に誰が来るのだろう、と考えることがたまにある。結婚式の招待状は自分で送れても、葬式の案内は自分で送ることができないので、来てほしいと思う人が来られなかったり、逆に来てほしくない人が来て、なぜかめちゃくちゃ号泣していたりしたら最悪だなとか想像する。身内として参加する葬式は別に家族サイドだから良いのだけど、そうではないとき、どういう気持ちで参列したら良いかわからないことが多い。友達のお母さんや、小さい頃お世話になった養成所のスタッフさんの葬式とか。当時そのスタッフさんにお世話になったひとたちはみんな大人になっていて、子供が3人いる子もいて、葬式のあと適当な店で喪服を着たままみんなでお酒を飲んでるとき「赤ちゃん産む時ってあそこ切られるんだよ!」ってその子が言って、みんなが悲鳴まじりに驚いていた瞬間を覚えている。

・・・

セックスを「泳ぎ」に例えるのって割とよくある表現だと思うのだけど(布団で泳いでとか)、泳げない人なので、なぜその2つの行為が結びつくのが直感的には理解できない。ジタバタしているから?とか色々思うのだけど、直感的にわからないからこそすごく幻想的に捉えてしまって、人魚が海にもどって泳ぐその飛び込みの瞬間みたいな、精神と肉体の悦びが交わる瞬間みたいな感じなのかなと無駄な想像をひろげてしまう。

・・・

人生でまだ一度もだれにも言ったことがないことってあるかなって思ったけど、意外とすぐにはでてこなかった。些細なことの方が、どうでもよすぎて実は誰にも言ったことがないのかもしれない。秘密を共有することで相手を束縛したい欲求を埋めたい気持ちになったのだけど、じつは人間関係ってそもそもその人としかしていない、些細だけどユニークな経験の積み重ねで厚くなっていくものだから、一定の深い関係を築いている人とは、すでに誰にも言ったことのないことを一緒に共有しているようなものだから、それならいいか、と落ち着いた。いつか、全くの赤の他人の秘密を、NDAを結んで意味もなく背負ってみたいかもしれない。

さいきんの断片

中華街で占いをした。この2年は天中殺らしいのだが、天中殺でやってはいけないことをすべてやってしまっていた。最終的に、「末端冷えるとか感じてる?」「手に赤いポツポツがあるので貧血かな?」と誰にも言えそうなことを言われて終わる。

---

夢をよく見る。一昨日は慣れない赤ワインを飲んだせいで酔っ払い、水を死ぬほど飲んだせいで1時間おきに起きてトイレに行った。その度に違う悪夢を見る。でかい虫の夢も見るし、今現実に起きている天国なのか悪夢なのかみたいなできごとのワーストケース・シナリオをすべて見た。恋愛関係についてNDAを結ばされる夢もみた。起きたら夏の国のエアビーの中で寝ていた。

---

先週の土曜日に見た、舞台『ねじまき鳥クロニクル』が全然よくなかった。第一部で帰ろうかなって思うくらい、暴力とセックスの必然性が何も感じられず不快だった。

原作を読んでいないかつ、飽き飽きして見ていたのであまり記憶がない上での読みだが、あれは原始状態とか、現実界のロジック(=暴力、性)に入っていって人間性を取り戻すみたいな話なのかな。

上記を表現するために、暴力とかセックスをそのまま現実のものとして舞台で描くということに私はあまり必然性を感じない。それをより抽象化できるのが舞台の力でしょうが、と思うから。すごくステレオティピカルな表象でつまんねってなっちゃった。ダンスもきれいだったけど、きれいだねとしか思わなかった。

あとこれは話の問題だけど、妻と兄(=悪の象徴として描かれる)には近親相姦的な関係があるんだけど、それを断ち切る手段が現実だと殺人になってしまってて最悪だった。

---

ダンスのカンパニーをやめた。もう耐えきれず。12月の公演は出張行くからと言って断った。あの場所に戻れなくてもいいやって今は思う。ツイッターに稽古の写真が出てくる。これって何が面白いんだろ?って。もしかしたら、劇場で見せるダンスというものにあまり今は興味を持てないのかもしれない。

同時に、私は多分誰かに見られるということからはどうやっても逃れられないと思う。それはあまり心地よいものではないけれど、それが人生のそばにずっとあって、何もしてなくても集団の中でどうしても目立ってしまうので、それならもうそれを活かしていくしかない。できるだけ潜水艦みたいに潜っていて、肝心なときに地上に上がっていきたい。今は深い深い海にもぐっているところ。

---

自分の仕事のスタイルがすごく身体的なものだということに気がついた。私は比較的一回やったことは次ミスしないんだけど、それはなぜ?と研修で問われて特に答えられなかった。メモもしていないし、言語的な振り返りは特にしていない。たぶん、一度経験したことを身体的な記憶にしているのだと思う。だから究極の経験主義なのかもしれない。

経験していないことを身体化することはできるのだろうか?想像することで経験に近い状態まで到達することができれば可能なのかもしれないが、それもあくまでそれを想像した・考えた自分の身体についての経験だ。

こういう身体は規範の反復に対して非常に脆弱だと思う。経験が自然と規範を吸収する方向に動いてしまうから。私は別に能動的に何かを記憶しようとはしていない。ただ水が流れるときに必ず上から下に、決められた道を通っていくように、同じプロセスを反復していく。

ただ水のように流れていくのであれば、相互的な作用があるはずで、水の流れが川を侵食していくように、規範の側も削れていくのではないか?

わたしの身体はすごく保守的と言われたことがある。拡張を拒んでいる。ただ、実際には反復によって徐々に自分の身体は変わっていっている。それに無自覚なのかもしれない。それなら、自分が望むものに対して拡張していく、そのリスクを取る方が結果としてよいのかもしれない。